日記「迂闊にいきたい」

そういえば王安石のデザインやったよな~と思って振り返ったら2012年くらいの話でした。おお、おお、時の流れよ・・・。(あとで王安石の話はします)。

 

Twitterを離れて自分を落ち着かそうという気持ちになりました。

私をそれなりに知っている期間がある人は、もうそんな季節かという感じだと思います。季節性夕頸子。定期的にタイムラインから姿を消す奴さ。

アカウントを消すというわけではなく、しばらくは自サイトでのんびりブログをしたためるのを漫画や絵を描きつつやりたいと思います。漫画が出来たらお知らせツイートするくらいな感じで。まあ最近はゲームばっかりしてるんですが・・・(そろそろDSJの記も書こう)

 

ついこの間、友人との通話で急に感情のギアが入りすぎになり、喧嘩にもならなかったことではあったのですが、言い過ぎたな・・・という反省がありました。悪いことばかりの世情を目にして耳にして色々行き詰まりを起こしてるのだと思います。世情を知らないままでいることも良くないですが、情報過多で心が疲れるのも良くない。特にTwitterは情報が多いし流れが速いし色々と感情が強い。ニュース等は個別記事や新聞で得た方が淡々と読める、ような気がする。

また、そういう折りに、Twitterをやめて良かった的なブログを拝見して共感する部分もあり、しばらく離れることにしました。自分の作品制作スタイルとTwitterの仕様が合わないという気づきを得たのかもしれないです。おそらくTwitterって「新しいものを大量得たい・発信したい」という人のためのツールなんでしょう。イベント出ないようになって顕著になりましたが、とにかく私は絵を仕上げるのに時間がかかる。遅筆というよりかは、アナログでやっている以上、紙に描いてスキャンして画像補正して・・・という行程が必要な為です。アナログはちょっとしたラクガキ等の絵にしても写真撮って補正して・・・とするので発信の速度は違いますしね。作業通話でわかったのですが、私が1ページの斜線引いてる間に、フルデジタル描きの友人は背景付きのカラー絵を書き上げてアップするまでができていて凄いと思いました。コンプレックスに思ってるわけではなく、それぞれのスタイルということだと思います。それがSNSに向いてるかどうかということ。

あと私はご存じの通り、好きになるコンテンツがそのときのトレンドにはまることなんてほとんどないし(現時点でOFFや真DSJなので・・・)、二次創作をおくという場としても私にとってTwitterはあまり向いてないと思いました(二次創作については局所的な燃え方するとか面倒な解釈餅とかあとコミュニケーション能力がクソっていうのもあるけど)

手早く大量に描けない・流行じゃないと評価され難いという状態は、気にしないつもりでいても、どこか意識に引っかかっている感じがあります。そもそれは、Twitter自体がユーザーに評価を気にさせる仕様になってるんじゃないかなあ(さすがに穿ちすぎか)。創作活動における承認欲求は誰しもあるけど他人からの承認に全てを依存してはいけない、ということはインターネッツのあちこちで言われてることだと思うんで割愛します。

長々書いたけど、要は「Twitterには居ないけど私は元気」です。はい。

 

最近、通勤時間や休憩中は読書するようにしました。よっしゃ中国史カムバックということで、積んでた王安石の解説書(三浦國雄「中国の人と思想⑦濁流に立つ 王安石」集英社)を読みました。ようやく冒頭に話が戻る。読み終わる頃には「新法☆施行」「介甫♡迂闊」みたいなウチワ振り回す感じでした(語弊)好きだな、王安石・・・。昔描いた漫画を読み返すと、書き手(私)の知識が薄目なのがだいぶ解る感じのキャラになってしまってまあまあ恥ずかしい。せめてこの本を読んでから描けよ!!!!???でも個人的には外見デザインは好きというかしっくりきてるのでこのままでいいかな・・・。北宋史創作はたぶんしないけどするとしたら王安石メインでやるでしょう多分しないけど。迂闊が理想主義者の甘受すべき勲章、という記述が良かった。理想主義者は笑われがちだけど、理想を語らなければ現実を改善しようもないっていうのはよくわかる話でした。

今は岩波書店の論語を読んでいます。毎回読み終わっても、論語だねえみたいな感想しか出ないんですけど、今回は何か得られるといいですね・・・。などと思いつつ。

 

そんな日々です。ではまた。