日記「うなぎの店へどうぞ」

うなぎ(が板前)の店。土用の丑の日はうがつくものを食ってたらいいのだ、腕とか。二本足の羊の腕とか。

アンチうなぎ食パーソンなのでこういう絵も描く。

食べたい(ている)人に食べるな!といちいち言いたいわけではないです。そこは個人の信条なので・・・。私は食べたくないし、何が何でも食べてかかる風潮が嫌いってだけです。これはいつもの驕るな人類スタンスな絵です。

うなぎの置かれた今の状況的なことはいちいち書きません。うまくまとめて発信していらっしゃる方も居るので、気になった方は調べてみたらいいと思います。


創作内中に割とカジュアルにひと肉料理ネタを扱うの、注意書きとかした方がいいのだろうか・・・と考えなくはないんですが、グロシーンは出してないし、子供向けでもないので、いいということにしています。幣創作、人間もまた食物連鎖のサイクルから逃れられてないという世界なんですわ・・・。それに、みんな必修科目で水滸伝くらいは読んでるでしょう(ない)。


ところで、水滸伝100回を読み終えました。

90回くらいから葬式状態が始まる・・・!と覚悟していたんですが、実際に死者が出るのもう少しあとで、95回くらいで「あと5回しかないけど!?大丈夫!?本当に36人まで減らせる!??」という気持ちになってしまいましたね。まあ、結局ばっちり36人まで減ったよ・・・(そりゃそうじゃ)。結構、報告死多いな・・・と思いましたし、あきらか尺の都合か?みたいなまとめ死も多かったですね・・・史進とか・・・。

魯智深、武松は最後まで作者に良い扱いをしてもらえた結末ですね。あと燕青もかな。それに比べて楊志は不幸のど真ん中みたいな終わり方しておまえ・・・(それはそれでおいしいのか)


寺男になった武松。快活男児からほぼホラーのサイコキラーをへて寺男という帰結は何とも感慨深い。ロッチーとは似てるけどまた別の寂寞さ。ところで自分の創作水滸伝でいちばん格好のバリエーションがありますね、武松。


黄信生き残ってたんかいワレ!今回、水滸伝読み直しで一番驚いたところでした。

まさかの解説による死も回避していた、とんだ鎮三山だぜ・・・。(ていうか勝手に死んだことにするなよ)

招按までの豪放磊落な心躍る活劇から一転して、最終盤は沈痛が続き虚無に収束していきましたね。そういえばむなしみの文学だったな水滸伝・・・。

でもやっぱり好き!その落差も含めて好きです、水滸伝。心のふるさと梁山泊(物騒)

これからも推していきたい文学ですね。


真3は、いよいよ佳境?みんなコトワリをバリバリやりはじめた。

一応初回なので、どうもニュートラルっぽい先生ルートを行くつもりなんですけど、肝心の先生がよくわからない人なのでほんまにええんかいな・・・という気持ちに。アラディア憑依くそ怖だし。これからわかることがあるんだろうか。まあがんばってニュートラルやるよ・・・。

ヒジリさんは人修羅を利用してただけみたいでちょっとショック。でもまあ・・・仕方ないよなあ・・・人間だもんなあ(DSJ覚ネス感)。千晶様、部下に天使多いのもあって、DSJゼレがカオス思想の依ったらこうなるのかな〜とか思った。

人修羅の選択は(たとえどんな結果でも)人修羅の為にあるので、友達全員敵に回ってもあまり辛くない感じがします。わりと先生がわからんちんでもまあニュートラルでいこか・・・ってなるし。

そう思うとDSJってメガテンのなかでは異色作なんですかね・・・大好き作品だけど主人公が辛いなので・・・(DSJヒトナリに何もかも背負わせるな組合)。ほかにはライドウくらいしかやったことないので何ともいえませんが。

がんばれ人修羅、コトワリ道中。


厳しいがすぎる夏ですが、頑張って生きましょう。

それではまた。