日記「目指すは暗黒伝」

オリジナル創作する人間として「○○(作品名もしくは作者名)に似ている/みたい」という言葉は、とりあえずとして誉め言葉として受け取っておくというスタンスです。とはいえ、往々にして嬉しくないと感じるので「○○みたいですね!」連呼されると苛・・・ッとはきます。

一方で「○○みたいな作風にしたい」という気持ちはあります。それに関しては、自分が実際に目指している地点と受け取る側の見方にズレがあって、それがあまり嬉しくないという気持ちに繋がっているのだろうな・・・矛盾とかではなく・・・と思ってます。(以前イベントで試し読みした方から「アメコミお好きなんですか?」と言われたときは嬉しかったんですよね)(思わず、お気づきですか!特にニューミュータンツが好きです!って熱く語りそうになったが辛うじて止めた)

というわけで、いつかは諸星大二郎みたいな作品が描きたい私です(前置き長パーソン)。

ここでタイトルとTOP画像の伏線を回収というワケ・・・「孔子暗黒伝」を全員読んでいるという前提での話ですが(おかしい前提)。でも個人的には、「孔子暗黒伝」より「諸怪志異」や「夢の樹の下で」のテイストを目指すところではありますが・・・。

写真の孔子像は湯島聖堂のものです(なんと世界最大)。あいにくの雨でしたが、それはそれで風情があって良かったです。

ご存じ、日テレドラマ版「水滸伝」のロケ地にもなったそうです(ご存じという前提)。

なんでか自分へのおみやげで十八史略の本を買った。

先日行った東京では、湯島聖堂はねじ込んだ系で、憲法を守れとザギンでモーデー(銀座でデモクラシーのこと)参加が本予定でした。いっぱしのロートルですが理不尽には声を上げていかないと・・・感じたが故です、個人的になにもしないよりかはずっといいと思ったのでした。良い経験をしたと思ってます。

そんな矢先、ハヤカワSFシリーズ「紙の動物園」ケン・リュウを読んでいると最近の社会の理不尽を抉るような内容があったので驚いてます。なんとタイムリーな。資本主義、環境問題、難民、差別・・・SFという世界観のなかに現実社会が上手く落とし込まれていて唸ってしまいましたね。いや、問題はいつだって普遍的なのかもしれないし、余りに自分が知らなさすぎたのかもしれない・・・。

 

寺山修司映画祭がやっていると知って「え〜〜〜!?言ってよ〜〜!」などとなってました。なかなか時間が合わず、結局1作品しか観れませんでした。でも映画館で寺山修司作品を観れたのは僥倖という他ないです。ただ、昔はあのアングラ具合が好きだったけど、今観るとまた別の視点があり、結構どぎつい感じがありましたね。好きというと非常に恥ずかしいというかむずがゆい感じはします。それでもやっぱり好きだし刺さりますわな・・・寺山作品、今に至る自分の創作スタイルの原点のひとつという側面もあるんですよね・・・。原点に立ち返ってみるのもまたいいのかもしれない・・・。

原点に立ち返ると言うことで、擬人化創作人外・纏足鮫娘のチャン・ウェイ(オナガ)。

纏足鮫娘の中で一番最初に考案したのが彼女でした。というか纏足鮫娘が黒珊瑚鎮シリーズの原点であるので、彼女こそすべての始まりといって過言でないです。

とはいえ、当初の設定とは変わりました。顔が切られた過去とクールであることが残った感じですね。

 

原点と言えば私的水滸伝原点である「爆笑水滸伝」を図書館から借りてきました(厳密に言えば私の水滸伝はじめは金瓶梅ですが・・・)。これは別に原点立ち返りで借りてきたわけでもないんですけど・・・結果的にそうなったというか・・・。

 

そういえば来週はついにゲーム・討鬼伝が10周年ですね!Twitterやめたので、当ブログでささやかになにかしらをなにかしらしたいと思ってます。近々!

 

色々とやっていて、すっかり創作サーチ登録やら通販サイト設定とかが後回しになってますが、まあ後回しにできることは後々で・・・。自分で自分を追いつめるとろくなことがないので慌てずやっていきます。

 

それでは今週はそんなこんなで。

また。